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中国・武漢テレビの取材

石川会長が県連の歩み語る

 日中県連は3日夕刻、中国・武漢テレビの取材を受け、石川賢作会長がインタビューに応えて県連の歩みと草の根の活動について30分余にわたって説明しました。

 本紙2月25日付に「わかりあえるか 中国人と日本人」を書いた、フリーライターの欧陽蔚怡さんが、ありのままの日本の生活文化を中国の人々に伝えたいと、武漢テレビとタイアップして進めてきた多角的な取材企画の一環。県連では、文化教室に最近数年の活動の写真やポスターなど若干の資料を掲示してディレクター、カメラマンと助手の3人からなる一行を迎え、応対しました。

 石川会長は、協会発行の『季刊中国』や日中友好新聞を手に持って、1950年の日中友好協会の創立とつづく名古屋支部、54年の愛知県連結成から現在に至る足取りを、2008年秋の北京風雷京劇団公演や太極拳、きりえ、中国語教室・短期留学など文化活動もふくめて紹介。また、「日中友好新聞」(県連版)を月2回発行していることも補説しました。

 この中で「私は名古屋大学の学生だった21歳のとき日中友好協会に入会し、友好運動ひとすじに歩んで、いま81歳です」と語ると、一行から「私たちが生まれるずっと前から!」と感嘆の声が上がりました。

 大府飛行場中国人強制連行・強制労働の問題では、1年前に生存者と遺族を中国に訪ねる調査団を送り、追悼式典に生存者と家族4人を迎えたこと。「平和のための戦争展」に、昨年はこの問題を研究している劉宝辰・河北大教授を迎えて講演会を持ったことなどを話しました。

石川会長が「私たちはこれらの活動を政府からお金をもらってやっているのではなく、会員や新聞の読者が自分のお金を出し合い、自分の時間を使って自主的な活動としてつづけているのです」と結ぶと、女性のディレクターは「日中友好のためのみなさんの気高い志にとても感動しました」とのべ、一行と取材に立ち会った県連役員が一人ひとり握手を交わして労をねぎらい、別れを惜しみました。
<2011.4.25>  

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